柳原義達  「 坐る 」 

 1960年   ブロンズ

柳原義達に出会う

 私は、日々、多くの物事や出来事に出会い、様々な感情に出会い、人との出逢いに感謝する。

なかでも、私にとって、ひとつの彫刻との出合いが、私に安らぎを与え、力を与え、今の私の「存在」たらしめたと

言っても過言ではない。柳原義達の「道標(風と鴉)」を始めて目にした時、惹かれ魅せられ、私はどうしても「共に

在りたい」と強く思った。それほどまでにこの彫刻が私の中に貫いた衝撃は、只々彫刻の存在力によるものであり

、それは「生きる」ことの叫びであるからである。

 柳原義達の作品のなかでも〈道標シリーズ〉は、ブロンズの塊であって塊としてではなく、量感とそれに反した浮

遊感と、洞察力による造形美とそこに吹き込まれた作家自身の生命力による圧倒的な自己存在証明として私は

感じとっている。人間生活の中で棲家を持つ鴉や鳩は巷にいて埋もれかねない命であるが、

そこで確かに生きているのである。柳原義達が亡くなった現在にあって、〈道標シリーズ〉にあるメッセージは、

さらに奥深く感じられるのである。


 また、ひとつの彫刻作品が醸しだす空間領域と、ある群像となった彫刻作品群の空間領域の拡張は、生命の連

鎖の共鳴を感じさせる。鴉や鳩は寄り添うことで力と、距離の均衡が空間を緊張させる。

健気なひとつの存在は果てしなく広い世界を抱いて生きており、柳原義達の世界観が、鴉や鳩に託されている。

恐れや畏怖から羽ばたく勇気や平和を願うその対象は、ここで対峙した私に向けられている。

鴉という鳥が都市あるいは自然の中に立向かって飛び立とうとする羽ばたきや、鴉の視線の向こうに見えるもの

を想像させる世界が、私の道標となっている。


 彫刻と共鳴することは、作家との共鳴と思える。作品は「鴉でもなく鳩でもなく」生きる存在そのものが、柳原義

達そのものである。そして、その存在も、それを見ている私も、その前では無垢でありそこにいる存在でしか在り得

ないのである。

今も尚、私は作品と語らい、人間〈柳原義達〉と出会い同化したいと願っているのかもしれない。



展覧会に

 私の許に在る柳原彫刻がさらに彫刻を呼んだ。私が欲するというだけではなく、作品が持つ強い吸引力によるも

のなのかもしれない。〈道標シリーズ〉は勿論、初期の裸婦像もまた絶妙な全体バランスの具象化がその存在の

生きる美を小品ながらも表現している。

晩年における素描は、立体から平面へと表現されてもなお強い、飛翔する前の物語性であり、生と死の存在感で

ある。

 柳原作品は私だけのものではなくこの存在が持つ力を多くの人々に触れて感じてほしいとの思いが、私に美術

館をつくらせ、この度念願の柳原作品たちをここで展示することに至った。

 美術館を開設するに当たって、美術館の名称について氏に相談したのだが、私は柳原作品を展示するのだから

柳原美術館の命名を喜んでくれると思った。しかし、多くの芸術家と自分の作品は同一であるという氏らしい謙虚

なお言葉と、若い芸術家の作品も展示できる美術館にしてほしいと〈関口美術館〉との命名を頂き、館名の書を一

筆頂いたことは感謝の念に尽きない。

 柳原義達は亡くなったが、私には寂寥感がないのは、柳原作品と共に私がいるからである。柳原作品は難しい

ものではなく、そこに在るということを感じさせてくれる今の柳原義達の存在である。この展示は柳原義達を回顧

するのではなく、作品を通して今の柳原義達を感じてほしいと思っている。

 2005年の今、柳原義達が風の中で、今何を思うか問いかけたいものである。

                                               関口美術館

                                              館主 関口雄三



                                                             




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